魚と、自然と会話する中で。
こんにちは!協力隊のオバラソウです。
私が横手に帰ってきてから一番楽しみにしていたもの。
それは、横手の自然の中で魚釣りをすることです!
小学校低学年のころから高校を卒業するまで、冬以外はほぼ毎週のように行っていた釣り。
東京から帰ってきて初めて迎える横手の春を心待ちにしてきました。
そんな期待感あふれる春を迎え、ゴールデンウィーク中も毎日のように水辺に足を運ぶ中で感じたのは、単なる「魚釣りの面白さ」だけではありませんでした。
釣りを通じて感じた「自然」の姿

今年のゴールデンウィークの横手は非常に気温差の激しい天候でした。
4月末には雪が積もり、その数日後には32°Cを超え、全国で横手が一番暑い町に・・・。
激しい気温の変化の中で魚を釣ることは容易ではありませんでした。
思ったような釣果が出ずに、「どうやったら魚が釣れるだろう」と魚相手に奮闘する中で、自分が対峙しているのは魚ではなく自然そのものだったということに気がつきました。
私にとっての魚釣り
この連休中に釣りをする中で感じた魚の気難しさは、同時に自然の気難しさでもあったことに気付かされました。
思い返せば、僕にとって魚釣りとは、季節を全身で感じられる「バロメーター」だったのかも。
魚釣りの中で触れ合う生き物たちの反応や動き、吹く風の温度や空の様子で季節の流れを知らず知らずのうちに感じていた少年時代。
ふとした瞬間に自然の中から得られた些細なヒントが、大きな魚を釣り上げることに繋がったことは何度もありました。

そしてもう一つ。
私にとって魚釣りとは、今は亡き父との絆です。
釣りが大好きだった父。
その父に誘われるよりも先に、私は当時のジャスコで売っていた安物の釣りセットを祖母にねだり、買ってもらったことがありました。
何かおもちゃを買ってもらうたびに「またそんなものを買ってもらって!」と怒られていたのに、その日の夜は「いいもの買ってもらったな。今度一緒に釣りに行くべ」と笑顔だった父。
それが私の釣りの始まりでした。
それから父と2人で毎週のように通っていた釣り場では、些細な天候の変化や鳥の飛び方など、自然を介して会話を弾ませながら一緒に魚釣りを楽しんでいたことを思い出しました。
大人になった今、魚釣りをして思うこと

28歳になった今、私は父との思い出を辿るように釣り場に通っています。
単純に魚釣りが楽しいということだけでなく、行く先々で父との他愛もない思い出が蘇ります。
場所によっては変わり果ててしまったり、もう釣れなくなってたりなってしまったり、悲しい現実に直面することもあります。
私にとって思い出のある釣り場は、同時に父にとっても思い出のある場所だったのだと思います。
自分に子どもができたら、自分と父との思い出の場所がその子どもにとっても思い出の場所であってほしい。
思い出の場所をずっと先の未来まで守りたい。
私にとっての、“「この街でこどもを育てたい」と言われるような横手にしたい” という目標に、新たな道筋が見えた気がします。
まだまだ考えはまとまってはいませんが、思い出の場所をこの先もずっと守るためにできることを少しずつ考えて行きたいと思います。
どんなことをしていくか、決まったらまた発信させていただきます。
どうか今後の活動もあたたかく見守っていただければ幸いです!