鹿嶋様って知ってる?
子供の頃から何度か通ったことのある道路の端に、藁でできた大きな人形が立っています。
久しぶりに通った道に立つ、異様な出立の大きな人形。
「なんだ、あれは…」と、恐る恐る接近。近くで見たのはこれが初めて。
私(小原宗)はこの人形は一体なんなのか。昔からずっと気になっていました。
もしかしたら「見たことあるよ」という方もいるのではないでしょうか。
「知っているよ!」という方もいるかもしれません。
魔除け?はたまた守り神?こんなに存在感のある藁の人形がいったいなんなのか、一緒に謎を解き明かしていきましょう。
あの人形は「鹿嶋様」

あの大きな人形を謎を解き明かすためには、地域の伝統文化に精通した人にお話を聞きにいくのが良いと思い、横手市教育委員会の文化財保護課を訪問。
雄物川郷土資料館や金沢資料館の学芸員も務める、高橋輝幸専門員にお話を伺うことができました。
高橋さんは横手の伝統文化の専門家です。
あの大きな藁の人形の謎を追う私の素朴な疑問や具体的な歴史について、高橋さんは詳細にお話してくださいました。

まず、道端に立つ大きな藁人形は「鹿嶋様」という神様だそうです。
鹿嶋様はいろんな地域で見られるとのこと。
鹿嶋さん…?誰か人の名前でしょうか?
その名前の由来は茨城県の鹿嶋神宮からきているということでした。
鹿嶋神宮の祭神である武甕槌神(タケミカヅチ)という武神が鹿嶋様の元になっている、という説がかなり有力だそうです。鹿嶋様という名前は元々ある神宮が由来だったのですね。
ではなぜ茨城県の神宮の名前が遠く離れた秋田で使われているのでしょうか。
諸説ありますが、江戸時代に藩主として秋田を統治した佐竹氏が、関東地方からこの信仰を持ちこんだからという説が有力です。秋田を統治した佐竹氏が、元々常陸(鹿嶋神社の元宮がある)を所領していたことが理由ではないかとされています。
木の骨組みに藁をあしらい作られた鹿嶋様は、村々の疾病・災厄退散や五穀の実りを祈願して各集落の境に置かれ、疫病などの災厄が集落に入ってこないように設けられているとのことでした。
人形は年に一度、田植えが終わった時期に地域の大人たち総出で1日かけて作られます。地域によって形や大きさにばらつきはあるものの、どれも迫力のある屈強な見た目をしているものばかりだそうです。
私が見つけた鹿嶋様が両手を広げていたのは、集落を守っていたからなのですね!
魔除けや守り神ではないかという私の予想はあながち間違いではなかったみたいです。しかし、五穀豊穣や疫病退散など様々な祈りも込められているということは知りませんでした。
人形だけじゃない!鹿嶋祭りとは?
さらにお話を聞くと、鹿嶋様に関わる行事が集落ごとに行われていることがわかりました!
大きな人形を立てる行事は「鹿嶋立て」と呼ばれています。
他にも、藁の人形や舟を川に流して厄をはらう行事があります。
呼び方は地域によって異なり、「鹿嶋流し」や「鹿嶋送り」と呼ばれています。
川に人形や舟を流す以外にも、五穀豊穣を願う「虫追い」として行われる地域では、最終的に藁を燃やす集落もあり、鹿嶋祭りと一口に言っても様々な形があります。
私が道端で見つけた鹿嶋様がある地域では、鹿嶋様を集落の若者が1人で背負い、集落の境まで運ぶそうです。
平鹿の樽見内集落の鹿嶋祭りでは、住民総出で巨大な藁人形を作り、子供たちのひく藁の屋形船に乗せて集落を巡回し、村はずれの小勝田沼という場所に供えています。
また、地域のシンボルである「鹿嶋梨」には注連縄(しめなわ)を奉納し、根元に小さな鹿嶋様を奉納します。
樽見内地区のように、地域のシンボルが鹿嶋祭りに深く関わるところもあれば、集落の神社で行事が行われているところもあります。
集落特有の木や神社を利用して行われるからこそ、それぞれの地域によって内容が違う。
住民総出で藁の人形を作ったり、地域の子供たちみんなで舟をひいて歩いたりする鹿嶋行事は、子供からお年寄りまで、幅広い世代が関わる大切な交流の場になっています。
鹿嶋祭りとともに消える地域の人々の繋がり
そんな大切な場は年々減少し続けています。
祭りの中心となる子供たちの減少が最も大きな原因です。そのほかにも原材料の藁の調達が困難になったり、人形や屋形船を作る技術を持った人が減ったり、それにより技術が継承されないまま行事が行われなくなってしまう地域が多いとのことでした。

地域の住民が力を合わせてつくる小さな行事だからこそ継承が難しいと語る高橋さん。
現在は近隣の集落と力を合わせて鹿嶋祭りを行う地域が出てきたり、鹿嶋祭りをはじめとする文化を保護するNPO法人が発足されたりするなど、伝統を守る動きがなされているようです。
大切な場を守るために私にできること
私が生まれ育った地域には、毎年行われていた小さな町内のお祭りがありましたが、近年は行われていないということを最近知り、悲しい気持ちになりました。
その祭りでは、近所のおじさんやおばさんが笑顔で、当時子供だった私や近所の友達を楽しませてくれたのを覚えています。
祭りの中でのふれあいや繋がりがあったからこそ、「もし何かあったらあそこのおじちゃんに助けてもらおう」と思えるようになり、幼いながら安心して外で駆け回っていたのだと思います。
近くに住む人々同士が触れ合うことで、自分が住む地域にはどんな人がいるかがわかり、それが暮らしに安心を与えてくれる。
地域の祭りや行事は、人々の暮らしを支えている大切な場ではないでしょうか。
鹿嶋祭りは地域特有の行事は無病息災や五穀豊穣を願うだけでなく、人々の繋がりをつくる大切な場所。
調べれば調べるほど、鹿嶋祭りを通した人々の結びつきを強く感じることができました。
地域の交流の場を守ること、そしてその存在を伝えていくことは住み良い地域づくりに繋がっていくはずです。
そのために今私ができることは「記録」と「発信」!
鹿嶋祭りの様子がわかる写真は少なく、現在はこうした資料に残されているのみだそうです。


今回の取材を通して、地域の大切な場になっている祭りは、暮らしの安心や住みやすさに繋がっていくのではないかと思いました。
残されている写真や映像が少ないのなら、私が積極的に動画や写真で記録し、その地で受け継がれてきた想いをみなさんにお伝えしたい!
それが文化を後世に伝える一つの手段であり、私の役割ではないかと思いました。
私と同じ世代や、より若い世代へ、地域の祭りの存在と大切さを少しでも知ってもらうことができれば嬉しいです。